介護業界プロによる、高齢者向け住宅、老人ホームのご提案

身内を介護する難しさ ~父親の場合①~

身内の介護 父親①

身内の介護 父親①

身内を介護する難しさについて、前回は同性である母親について書きました。

今日は、父親が認知症になるまでの経緯をお話ししますね。

 

調理師として働いていた父は、昔ながらの職人気質(しょくにんかたぎ)の人で、皿洗いから店長にのし上がっていった苦労人でもあり、ワンマンでした。

 

お店では言葉も荒く、若手の職員を怒鳴り飛ばしたり、時には手を出したりしていたらしく、皆、面と向かっては何も言いませんでしたが、中には嫌う人もいたようです。

 

家に帰ってくれば家事全般は母親任せで、休日も家族と一緒に過ごすより、一人で遊びに行ったり買い物をしたりと、結構自己中心的な生活を送っていましたね・・・

 

「働いてお金を稼いで来れば、文句は言わせない」みたいな、ある種 昭和チックな考え方をする人でした。

母はそれに対してかなり不満を持っていましたが。

 

そんな父ですが、定年を迎えてからは、外出もしなくなり、代わりに買い物や炊事をしてくれるようになりました。

 

というのも、その頃から母が認知症気味になり、家事が満足にできなくなったという事情もあったからだと思います。

 

母と違って心身ともに元気だった父が食事の支度をしてくれるので、勤めていた私は大いに助かりました。

調理師をやっていた頃は、家で食事を作るなんてことはまず、ありませんでしたから、ちょっとびっくりしました。

 

また、現役の頃は全く付き合いのなかったご近所の方と交流を深めていったのも、驚きでした。

 

よく、仕事をリタイアすると途端に認知症になってしまうという話を聞くじゃないですか?

でも、父の場合は家の仕事やご近所とのつながりがあったので、認知症とは無縁の楽しい隠居生活を送れる思っていました。

 

時々、私の弟の家族が孫を連れて遊びにきていたのですが、それが何よりの楽しみだったようでした。

 

現役時代はかなりワンマンで横暴な父でしたが、そんな生活を送っているうちに穏やかな性格に変わっていき、正直、私はホッとしていました。

 

というのも、うちは夫婦げんかが絶えない家だったので、毎日のように両親がいがみ合っていたからです。

 

ところが今度は、母が認知症になって攻撃的な性格に変わっていき、毎日毎日、家族が言葉の暴力を浴びる日々が始まりました。

 

そんな母に対し父は言い返したり、暴力をふるうことはありませんでした。

父の本来の性格からしたら、かなり我慢していたのだと思います。

 

そして今にして思えば、これが父の認知症の始まりだったのかもしれません。

 

(私は幸いにも昼間は仕事に出かけていたので、さほど母の攻撃対象になりませんでした。

 

もし私が一日中、母の罵声を浴びていたら母に手をあげていたでしょう。

 

それほど母の悪口雑言はひどいものでしたから)。

母の病気が治るという希望はない。
つまり、解決策の無いままストレスばかり溜まってどうしようもない毎日が続いていくのです。

 

そうなると、なんとかその場から逃げたい、忘れたいと強く願うことになります。

毎日の主夫業(主に買い物と炊事)、趣味の盆栽の手入れと、ご近所さんとのおしゃべり。
こうした一見、穏やかな生活に見えて実情は一日中、暴言を吐いて壊れていく母から離れるために時間をかけてスーパーなど買い物に出かける毎日。

現実逃避」が始まります。

毎日自転車で買い物に行くスーパーからの帰り道が分からなくなる。

これは月に1度くらいの割合で起こりました。

 

私が帰宅するのが午後7時ごろなのですが、8時になっても9時になっても帰ってこない。

探しに行こうにも、どこにいるのか皆目見当がつかない。

 

警察に通報して探してもらうしかないと、一晩中起きて待っていることが徐々に増えてきました。

 

 

そんな父を見ていて、何とかしなければならないと思いました。

父には何度も母を施設か病院に入れるように説得しました。

 

でも答えは「ノー」。

前回のブログにかいた通り、父は母を病院や施設に連れて行くことに反対でした。

自分さえ我慢していれば問題ないから、というのが父の言い分でした。

 

違うんですけどね。

私も母の暴言や昼夜逆転、取られ妄想などの症状に大いに悩んでいたんです。

 

次第に暴力的になってくる母を強制入院させる方法もあります。

保健所に連絡して、病院なり施設に搬送してもらうのです。

 

しかしそれには配偶者の同意が必要なのです。

娘や息子が同意してもダメなんだそうです。

 

私たち子供がどうしようもなく、手をこまねいているうち、ますます父の言動がおかしくなっていきました。

 

公共料金などの支払いを忘れるようになったり、スーパーからの帰り道が分からなくなって迷子になる回数が増えていきました。

 

初期の頃は月に1回程度だったのが、そのうち週に1度になり、週に2度に増え・・・

 

会社から帰って父の姿が無いと「またか・・・」と思うようになりました。

その晩は結局、また警察や親せきに連絡して居所を探すことになります。

 

行き倒れや事故でもない限り、警察も本気で探してはくれないようです。

私は一晩中、起きて父の帰りを待つことに。

 

大概は真夜中か明け方に自力で自転車に乗って帰ってくるのですが、一度、家から15km以上離れた警察署に保護されていたことがあります。

 

帰り道が分からなくなってやみくもに自転車を走らせているうちに、父の実家のある方へ向かっていったようです。

 

国道沿いのその警察署まで弟の車で迎えに行くことになりました。

 

こんなことが度々続くと、私も弟も仕事に行けなくなります。

母を入院させると同時に、父にも介護・介助が必要になってきたのです。

 

会社の有給休暇をちょくちょく使って、両親の介護認定から始めなければなりませんでした。

この時点ではまだ介護度の認定が下りていないため、ケアマネージャーやヘルパーさんに代行を頼むわけにもいかないので、自分たちで対処することになります。

 

いきなり「介護認定に行く」なんていうと、二人とも絶対に付いてきませんから「老人健診に行く」とうそをついて、二人を弟の車で病院と市役所に連れて行っていました。

 

ここでも、身内が当の本人を連れ出すことの難しさを感じますよね。

 

結果は母が要介護2、父が要介護1と、比較的軽いものでした。

介護認定って、自分たちが感じている以上に軽めの判断が出るようです。

 

長くなりますので、両親の施設探しと入院については次の機会に・・・

HOME

関連コンテンツ


Scroll Up